ラツマピック天国

ウィザードリィの話題はでません

福永武彦『草の花』

空き家から発掘された本の第二弾は、福永武彦『草の花』です。

草の花-表紙

草の花-奥付

昭和31年発行ということなので、約70年前の作品ということになります。

私が無知で不勉強で愚鈍で乱視で猫背なため、著者の福永武彦という方を存じ上げませんでした。そこで、ウィキペディアにて調べてみましたら、池澤夏樹の父であることがわかりました。そして、『草の花』に関しても、彼の出世作にして代表作で、現在でも議論・研究が行われている重要な作品であることがわかりました。

作者が実際に経験した青春時代の同性愛と失恋が題材となっていますが、同性愛自体が主題ではなく、孤独・愛・死・信仰について作者がずっと巡らせていたであろう考えが、登場人物の対話を通して表されています。

 

①大学生の先輩「春日さん」との対話

藤木という一つ下の後輩を一方的に愛することで、孤独に苛まれ、自分を傷つけていると悩む高校生の主人公「汐見」に対し、弓道部の大学生の先輩である春日さん曰く、

「真の孤独というものは、もう何によっても傷つけることのないぎりぎりのもの、どんな苦しい愛にでも耐えられるものだと思うね。それは魂の力強い、積極的な状態だと思う。それは、例えば神に祈っている人間の状態だ。祈りは神の前にあっては葦のように弱い人間の姿だが、人間どうしの間では、これ以上何一つ奪われることのないぎりぎりの靭さ(つよさ)を示しているんだ。孤独とはそういうもんじゃないだろうかね。」

「相手をより強く愛している方が、かえって自分の愛に満足できないで相手から傷つけられてしまうことが多いのだ。しかしそれでも、たとえ傷ついても、常に相手より靭く愛する立場に立つべきなのだ。…靭く人を愛することは自分の孤独を賭けることだ。たとえ傷つく懼(おそれ)があっても、それが本当の生き方じゃないだろうか。孤独はそういうふうにして鍛えられて成長していくのじゃないだろうかね。」

 

大学生といえど、大人な感じがします。この後にも春日さんは、

「君が本当に成長し、君の孤独が真に靭いものになれば、君は自分をも他人をも傷つけなくなるのだ。自分が傷つくような愛しかたはまだ若いのだ。」

と言っています。たしかに、(大学生もまだ青春時代だと思うけど)青春を通り過ぎて、あとあと振り返ったら春日さんのような見方もできるかもしれません。しかし、まさに青春まっただ中の主人公は納得しませんでした。森田公一とトップギャランが聞こえてきます。

ちなみに私の中の春日さんはどうしてもピンクのベストで胸を張ってしまいます。

 

 

②愛の対象である「藤木」との対話

 

藤木「それでも、僕のことで苦しんでほしくないんです。」

汐見「愛していれば苦しくもなるよ。」

藤木「どうして苦しむことがあるんでしょうね。汐見さんはただ、苦しんでいることを僕に見せつけようとするだけじゃないですか?」

藤木「愛するというのは、つまり愛されることを求めるということじゃないんですか?汐見さんが僕を愛してくれるのも。僕が汐見さんを好きになるのを待っているからなんでしょう?」

汐見「僕はただ愛してさえいればいいんだ。」

藤木「違うと思う。それだったら汐見さんは何もそう苦しむことはない筈じゃありませんか?」

汐見「僕が苦しむのは…」

ここで主人公は言いよどんでしまい、

(果たして相手の愛を待ち望まない愛しかたというものがあるだろうか。僕だって結局は、藤木が僕を愛するようになり、二人の愛の結びつきの上にイデアの世界を夢みていたのではなかったろうか。)と逡巡し、次に出た言葉は、

汐見「そんなに君は僕が嫌いなのかい?」

でした。

 

これはキツい!主人公は愛を理性で考えようとするのですが、逆に理詰めで拒否されてしまいます。この関係について、いろいろな文学者が考察しているのがウィキペディア「草の花」にも載っていて、いろいろな考えがあるんだなあと思いました。

 

 

③藤木の妹「千枝子」との対話

主人公と疎遠になった藤木は、病で短い生涯を終えてしまいます。その後、主人公はかねてより交流のあった藤木の妹の千枝子といい感じになります。いい感じになるのですが、篤くキリスト教を信仰する千枝子と、そうではない主人公の間では、何かと議論がおこります。そして、日常に戦争が影を落とすようになり、いつ主人公に召集がかかるかわからない状況で、千枝子は、もう会うべきではないと切り出します。

 

千枝子「でも、こうしていれば不幸になるだけでしょう。」

汐見「僕は幸福だよ、君と会っている時だけは、心から幸福だと思うよ。(略)…君が愛してくれさえくれればいいんだ。」

千枝子「愛するといったって、…ねえ汐見さん、本当の愛というものは、神の愛を通してしかないのよ。」

汐見「僕はそう思わない。愛するということは最も人間的なことだよ。神を知らない人間だって、愛することは出来るんだよ。」

千枝子「でも、神を知っていれば、愛することがもっと悦ばしい、美しいものになるのよ。」

汐見「じゃ君は、誰か信仰のある人と愛し合えばいいさ。僕のような惨めな人間を愛することなんかないさ。(略)…しかし、誓って、僕ほど君を愛している人間は他にいないよ。…そりゃ僕は孤独だし、孤独な状態は惨めだと思うよ。孤独な人間は、この戦争が厭だと思っても何も出来やしない、手を拱いて召集の来るのを待っているだけだ。そして召集が来たら、屠殺されるのを待っているだけだ。もし何か此処に組織のようなものがあって、戦争に反対するような人間が一緒に力を合わせてこの戦争を阻止できるものなら、今の僕は悦んでそれに参加するよ。ちっぽけな孤独なんか抛り投げて、みんなの幸福のために戦うよ。しかしそんな組織が何処にあるんだろうね。(略)…神を信じている人間でさえ、隣人を愛することが義務だと思っている人間でさえ、戦争に反対しないぐらいだもの、どうしてほかの連中にそれができるだろう。」

(略)

千枝子「どうしても神を信じないのね。」

汐見「信じない。」

千枝子「じゃ何を信じるの?」

汐見「何も信じない。」

千枝子「何も信じないの?あたしも信じてくれないの?」

汐見「君?…君は信じるよ、君だけは。」

千枝子「でも、でも人間の心なんて儚いものよ、神の愛は変わらないけど、人間の愛には終わりがあるのよ。」

汐見「そうかもしれない。しかし僕は君を選んだのだ。だから、君を愛しているこの心だけは、信じたいのだ。僕が選んだのは君だけだ。」

千枝子「そう。」

(どのように口を酸くして語り合ったところで、人は自分の意志を他人に押しつけることは出来ない。千枝子が神を信じなくなるわけでも、また僕が神を信じて基督教徒になりわけでもない。愛もまた、(略)…人が心の中に描いたイメージを、自分自身の中に彩り、勝手な、都合のよい夢を見ているだけなのだ。)

 

神ー!神さえいなければー!って個人的には思ったりもしますが、主人公はその純粋さ故に、辻褄の合わないことができない。だけど、現実はちっとも論理的でもないし説明のつかないことばっかりで、それは孤独感を禁じ得ないですよね、と思いました。

 

孤独・愛・死・信仰って、自分の問題として考えた人でないとなかなかテーマにできないと思うのですが、これぞ私小説、だと思いました。

井上靖『断崖』

空き家を片付けていると、たくさんの書物が発掘されました。

多くはボロボロだったり黒くなってたりで処分してしまったのですが、状態がよいものについては、これも何かの巡り合わせということで、なるべく読んでみることにしました。

一冊目は、井上靖『断崖』です。

 

断崖-表紙

断崖-奥付

解説には「井上靖が昭和24年の下半期の芥川賞を受賞して文壇に出てから、ほぼ四、五年の間に発表されたものばかりで、初期作品群に属する。」とあります。15の短編が収められており、ネットで検索しても、それほど件数はひっかかりませんでした。Amazonでも古本で3点あるだけでしたので、それほど部数は多くないのかもしれません。

読んでいて驚いたことは、だいぶ前に高校受験用の国語の模試で見た文章が収められていたことでした。それは「蜜柑畑」という短編です。国語の問題を読んでいると、印象に残る文章とそうではない文章がありますが、「蜜柑畑」は私の中ではかなり印象に残るものでした。

農村で小学生である主人公と同級生が、同じ村の女の子ためにミカンを木からもいで落としてやるのですが、女の子は次々と落ちてくるミカンをあちこち走り回って拾い上げているように見えて、実は主人公の落とした蜜柑だけを拾っていた、という場面が抜粋されて問題文となっていました。

そして、今回作品として初めて「蜜柑畑」全体を読んでわかったのは、国語の問題で使われていた部分は作品の真ん中の回想の場面であり、その前後で書かれていたことは、

・女の子は村一番の名家の美しい娘で、小さいミカン農家の主人公とは身分が違うこと

・いっしょにミカンをもいでいた同級生は苦学の末に東京の大学に進学してその女の子と結婚すること

・主人公はその女の子のことを好きになっていることに気づき、同級生に憎しみを抱くようになってしまったこと

でした。

回想の場面だけでは、主人公が女の子に好かれてていい感じ、なのですが、話全体では、そういうことが過去にあったからこそ、主人公が今の自分の現状にやるせなさを抱いている、というものだったのです。

今回読んでから初めて気づいたんですが、たしかに回想の場面は主人公にとってウキウキな状況であるにも関わらず、その文体が暗いんです。回想部分の抜粋だけを読んだとき、その暗さには気がつかなかったなあ、と思いました。

 

ほかの短編も、さまざまな距離感の男女の決着、決別といったものが多かったです。

「表彰」を読んだとき、ハリウッドザコシショウの「ヤバいサラリーマン」というネタを思い出しました。

私は今まで井上靖の作品で読んだものは『敦煌』と『風林火山』だけだったのですが、やっぱり作家がもっている幅ってすごいよなあと思いました。

あと、こういうところから国語の問題を作ろうとする人もすごい。

空き家を片付ける①

私事ながら、廃墟同然の空き家を解体することになりました。

解体するには、とりあえず中のものを全部片づけなければならない、ということで、少しづつものを減らしてします。

 

ただ片付けるのも芸がないので(あと孤独なので)、頭にカメラを載せながら作業し、記録していくことにしました。

 


www.youtube.com